あやこの部屋

てよみやさんのつれづれ

なにもなくても、愛されている、ってなんざんしょ

 

この本が好きで、ゆっくり読んでいる。

 

 

この本の冒頭で、

わたしたちはみな、ありのままで愛されている、とあって、

ハートの中に、その感覚を探したら、ほんとに在った。

 

今、愛に浸ることにチャレンジしていて、

自分の中にある、他者への愛(誰か特定の人がいれば、その人への愛)と、

ありのままで愛されてる感覚を、行ったり来たりしてるんだけど、

頭が言うわけですよ、

ねえねえ、ありのままで、なんで愛されてるの?

なにを根拠に?

つまり、あなたが(わたしが)ありのままで、愛されていい、っていう根拠って、なに、って。

 

根拠もなにもさ、

もうすでに愛されてるんだから、根拠なんて要らなかろうと思うけど、

理由が欲しいわけですね、頭は。

◯◯だから、って。

だから、愛されていいよ、愛していいよ、って。

そっかぁ、とちょっとしんみりしつつ、まだ答えが出ないし、

そこをほったらかして、愛に浸ればいいのかもしらん、と思ったりしつつ、

愛にちゃぷちゃぷしている。

みんながいいと讃える場所が、わたしにとってそうじゃなかった話

旅に出ておりまして、

百億人くらいが、いい!とする某日本で一番有名であろう宗教都市にお邪魔しましたが、

そもそも、わたし、その方にずーーーーーーっと興味がなくて、

周りの誰かが、そこの宿坊に泊まった、って聞いても、へぇー(塩対応)みたいな。

 

ま、で、まぁ諸事情でお邪魔したのですが、

やーっぱ、ちょっともうその門をくぐってから、独特の空気間。

うーん。うーん笑笑

 

 

前日大雨で、電車も止まり、道路も通行止めになったその場所を、

無事に訪れることができただけでも、大変有り難かったんだけど、

わし、ここ、、ここ…笑

みたいな。

いや、襖絵や、皇族をご対応する空間とか、台所など、見どころはあったけど、うん、、って感じ。

 

 

そして、本丸。

奥の方へと進みましての、パワースポットと呼ばれる場所。

うーん。

なんで、人様のお墓を通るのが、パワースポットなんやろう?笑笑

だめだ、母にたしなめられたけど、帰り道に、

わたし、吉野の方が好き!!と、言ってしまった笑。

 

いやね、前日の雨の影響で、側溝から水があふれていて、

それを土曜にも関わらず、みんなで作業されていて、わぁー日本って素晴らしいな、日本の国力ってこういうところもあるのでは?なんて、

そのお姿に、感銘を受けたんだけど、

足元注意だし、どこ見ても墓石とそこに刻まれた名前が目に入って、

まじで、どこ見たらいいん!!!!

なんで、ここがパワースポットなの????

って、心の中でぼやきながら、さらにその奥へ。

 

さて、ここからは、写真撮影禁止の某所へ。

が、

が、

が、、、

うーーーーん。

手を合わせてみるけど、

あたし、この人、ひとつ前の寺から、

感じてたけど、

こいつと言わせてもらうけど、

黒いんだよね。

黒くて、わたしの肩から腕に、スポってするんだよね、なんやねん。

なんだろう、なんか、全然ピンとこない。

全然ピンと来なくて、

しかもどこみてもお墓で、なぜ?

なぜここが、パワースポットなのか、

予習で視聴したYouTubeは、清らかに見えたけど、

わしには、清らかには見えへんで!うー!

と、堪えきれず、吉野の方がいい!と言ってしまいました笑。

 

 

まぁ、行ってよかったな、と心底思ったけど、

好かん、と、わかったので。

そして、わたしは、自然共にある信仰、のスタイルが好ましいんだな、とつくづく思ったし、

親孝行と言えど、自分にとってどうなのか、を、最優先してこう、

わたしのしあわせは、わたししか、知りようがないんだから。

 

 

と、帰路に着きました。

が、帰ってからが、大変だったのでした…

人生の棚卸し

息子がくれた母の日❤︎

 

 

月曜日から、急に空気が変わった。

あぁ、なんか違う…と佇んでいたら、それまでの食事が、急に摂れなくなり、

先週から始めた腎臓ケアのスープの効果なのか、おぉ、おぉ、と戸惑いながら、食事を変える。

 

腎臓の負担になるものは、摂らない。

乳製品、白砂糖由来の甘いもの、小麦。

確かに、甘いものを食べてる暇はない、と少し前から思っていたので、さあ始めますか。

スーパーで、いりこやら、ナッツやドライフルーツを買う。

さて、どう変わっていくんだろう。

 

 

そして、人生の棚卸し。

少し前から、引き寄せにトライしている。

と言っても、なにか、実現したい!!とつよく願うものがあるんじゃなくて、

奥平亜美衣さんの本を読んでいたら(Amazon primeの加入者は、Kindleで、引き寄せの教科書が無料で読める)、

引き寄せとは、

いま、目の前にある・感じられる、いいことを探す、

思考を選んで(探して)、いい気分を作っていく、地道な作業なんだな、と思い、

なにかを引き寄せたい、という意図よりは、

いい気分でいる訓練をしている。

 

まぁ、こうなったらいいなぁ、と思うことはあるけど、

それがほんとうにいいことなのか、なんかよくわかんないなぁ、といい具合に手放せた気もする。

 

 

本題。

気持ちと思考を見よう、見ようとしてるからか、

人生の棚卸しのような、ずーっと奥深くにこれですよね、やっぱりコレが、わたしの人生で引っかかってますよね〜〜〜

ということに、気付けている。

 

その分、ずーーんと重かったり、

悲しかったり、苛立ったり、している。

 

自分でこしらえた枠、

ああ、あなたは(わたしは)、こういう枠で、物事をとらえ、

自分にも強要してるんだなー

 

そして、生育環境で得たものが、

なかなか頑固というか、よく目を凝らさないと、それが強力な磁力を持って、

今もなお効力を発揮し続けてるとは、

引き寄せ実践をするまで気が付かなかったなぁ、と恩恵を得ています。

 

ありのままで、愛されている、

という感覚に、常時浸っているのが、

今のところいいのではなかろうか、と思っています。

と言っても、すぐあくせくして抜け出しちゃうんだけどさ。

白魚のような手を持つ殿方

独断と偏見の世界へようこそ!

 

 

今回は、美しい手を持つ殿方の話。

 

 

テレビドラマを観ていたら、

指が細くて長い、華奢な手がアップになった。

なんで女性の手がアップに?と、話の流れから違和感を覚えたら、

次の瞬間、その見惚れた手が、主演男性俳優の手だと知る。

 

 

ほぇー!

人間観察スイッチが入って大興奮。

 

 

 

だって、その方、髭面でワイルド…今はダンディ、大人の魅力を売りにしている人だったから。

 

はぁーー

この方、こんな手をされているのね。

 

これは、周りが抱く印象と、中身が違うぞ。

 

 

【指が細くて長い】ことから、繊細。

優しい人で、

人当たりがいいんだろうなぁ。

争いを好まぬ故の優しさで、

温厚な人なんじゃないかな、と思った。

 

うーむ、今この方から出ている、

大人の余裕みたいな空気感は、

もしかすると、人をこれ以上入れない防御の壁でもあるかもしんないなぁ、なんて。

 

 

わたしの持論で、

男性で指が細いと、図々しくないのです。

図太くない。

神経が細やかなんだろうな、と見ている。

だから、もうちょっと指が太けりゃ、

自分のためにずるく?賢く立ち回ることもできるだろうにな、という不器用さを見たりすることもあります。

 

 

ちなみに、女性は指の太さ関わらず、

そこそこ神経の太さや、したたかさはあり〼

だって女性だから〜

か弱い女の人は、存在しないと、わたしは信じている。

 

脱線ついでに、

女性で白魚なら、まぁ問題はないというか、

周りが勝手に世話焼いてくれても、win-winかなぁ、と。

見た目が華奢で、手も華奢で、

周りが勝手にそんな印象を抱いても、

心底か弱い女なんて、青い薔薇みたいなもんで、

中身が違っても誰も(特に当人は)おおむね気にしないのではなかろうか。

(その手のタイプの女性ね、白魚でキラキラしてる女性はそんな誤差は意に解さないんじゃないかなー)

 

 

でね、この男性、

少々生きづらいのでは?と思ったんだけど、

指の細さから見るに、

容姿(自己演出含む)と、

人が彼に期待するであろう像と、

中身が全然違うな、

この人、少なくともワイルドではないんじゃないかな、と。

そのズレ故の息苦しさ?

 

指の細さと、この方の気質もあるけど、

めちゃくちゃ人からどう思われているか、

評価が気になる気がするんだよね。

周りからの評価を受けて、自己補正する感じがして。

 

あと、繊細さ。気が細かすぎるのだ。

そして、周りを気にしすぎるが故の優柔不断。

自分がどうあるべきかを、外側に拠ってる気がして。(ははは、勝手すぎる)

だから、なにかを決めるのが、苦手。

結婚とか決められないんじゃないかと思う。独身なのも納得。

(結婚してるのが良いとか、そういうことじゃなくて、人目を気にする人は、気を違うから、一人でいる方が楽だし、そして、決めるのが苦手なら、尚更そうなるよね〜っていう意味)

 

 

【余談兼邪推】

はぁーなんか納得〜

だから、あの気が強そうな女性と噂になってたのね。

彼女が引っ張ってくれるというか、向こうの意見に合わせてればいいし、自分の意見を言ったり、リードするより、そっちの方が楽なんだろうな。

強い意見を持ってる人がそばにいたら、安心したのかもしれないな。

 

 

一般的に、指が細くて、長いのは、

わたしの中で、

芸術的感覚に優れていて、審美眼を持っている、と見ていて、

おうちの中も美しいんじゃないかしら、と思うのだが、

この彼じゃなくて、

とっても繊細な方達は、

この混沌とした世の中を生きるには、

気が合わない、生息域が合わないというか、

人間特有のペタペタした気が薄いから、

自分がない、というか、

あるけど、なんかこう、うまく言えないのだが、

ごちゃごちゃしたこの世の中は、ズレでしかない、不協和音に感じられるんじゃないかな、とも思う。

 

それが行き過ぎると、

この世で生きるのが難しい感じられて、

めちゃくちゃ気の弱いスナフキンが、何処にも旅に出ずに、空想で終わる、

もしくは、竹取物語の竹に入ったまま誰にも見つけてもらえず物語が展開しない、そんな印象になってくる。

このくらい繊細な方は、どうしたら、もう少し生きやすくなるかしら。

世代の違う友達を見つけるのもいいかもしんないし、(色んな人が集まるような場)

今自分が置かれてる場所じゃない空間で、

自分が好きなこと、夢中になってることで、

年齢や性別を問わない人との繋がりを見つけられたら、生きるのも悪くないな、って思えるかもしれないな。

あと、自分なんかが生きてて良い、と思えることが大事な気がする。

 

 

 

【まとめ】

光源氏が、リアルに存在したら、

もしかしたら、こんな手なのかもしれない…

いやでも、彼は図々しいと思うから笑、

指は長くて綺麗でも、多分もう少しまるっこい指なんだろうな(太いという意味)

 

 

 

と、綺麗な手指を見ただけで、

ここまでイメージが膨らむわたしでした。

 

いくらダンディでも、中身までダンディとは限らない!笑♡

人の中身は、見た目では計り知れませんね。

 

 

ありのまま、と、憧れ

ありのままの自分を愛したり、

受け入れたりすることに励んでいる。

 

きっかけは、こちら

アニータ・ムアジャーニーさんの2作目

(1作目も2作目も、どちらもおすすめなので、ご興味の湧いた方は、ぜひ!

図書館や店頭などで♡)

 

 

 

それに取り組み始めて、

心が穏やかなで、頭もハッピー、

な時間が増えているように感じる。

 

そんなある日、気づいたことがあった。

 

自分にとって特別な存在、

憧れの人だったり、好きな人だったり、

そんな代わりの効かない存在に対して、

無意識で、

こうあってほしい!という枠を、

押しつけていたなぁ、と。

 

例えば、スーパーマンが路地裏で、カツアゲされてたら、がっかりしない?

(この例えが適切かわからんが笑)

 

なんかこう、

こうあってほしい、という無意識で自動的に発生しちゃう気持ち。

 

それによって、その人がどんな人なのか、

知ろうとしてなかったり、

その人の人間らしさを、見ようとしてなかったりして、

なんか申し訳なかったな〜と思ったのでありまする。

こちらも人で、あちらも人なのです。

 

 

これを、ご本人に伝えられるかわからないので、

とりあえず、ここに書いて、

わたしの想いを昇華させる試み。

 

 

なんか、きっと、

息苦しかったり、自分を出せなかったり、

居心地が悪かったんじゃないかな、

と思ってみたり。

 

またお会いすることが出来たら、

わたしはこれこれで、こう思ってて、

苦しかったよね、ごめんね、と言えたらいいなぁ、と思っています。

 

 

いずれにせよ、そのことに気づけたわたしは、

少し大人になれたんじゃないかな、

と思ったし、

自分のありのままを受け容れようとしているから、ここに辿りつけて、

今までとは異なる物の見方が出来たのかな、

やったね!と思いました♡

 

おしまい

夢の中のおばあちゃん

昨日見た夢は、

先日他界した祖母が出てきた。

 

登場人物は、

わたしと息子と祖母が、出ずっぱりで、

母と叔母が時折出演。

 

舞台は祖母の家で、

そこに、わたしと息子が滞在していて、

夢の中でも、

祖母は他界をしている設定で、

でも何故か、わたしには、くっきり祖母がみえていて、

祖母がずーっとニコニコ可愛い笑顔で、

ちょこんと座っており、

テレパシーみたいな言語によらないかたちで、わたしとお喋りしてる。

 

お空に帰った人がそこにいても、

わたしや息子は、そのことを疑問に感じず、

でも、母や叔母には見えないから、

祖母とお喋りしてることを、どうやって説明しようか、と思案していたら、

不思議と二人はそのことを受け入れていれて…

という、縁側でのほほんとするような夢だった。

 

夢の中でも、わたしは、最近はまっている床拭きをしており、

祖母がわたしに、

おばあちゃん家も拭き掃除してほしい、と伝えていて、

いやーわたしは遠くに住んでるから、おばあちゃん家を拭き掃除に行くのは大変よ〜

と、そこだけ、妙にリアルな対応をしていた笑。(舞台は祖母宅なのに、わたしが拭き掃除してるは自宅という設定のズレ)

 

 

あ、でね、

なにを見つけたかというと、

やっぱり人は、亡くなると、どんどん生分解性が進むんだな〜って。

 

祖母固有の振動数、というよりかは、

もっと純粋で、無邪気で、可愛らしくなっていて、

それは、父方の祖母にも感じたことで。

 

それが、どーんどん進むと、

ほんとに愛、愛そのもの、になっていくんだなぁ、

と、わたしが生まれる前に他界した祖父とコンタクトしてから感じている。

(この話はまた別の機会に)

 

 

 

来世に期待するとか、

死後のジャッジを恐れるとか、

そんなことより、

下手くそでも、今を一生懸命その人なりに生きるといいんじゃないかな、とわたしは思うし、

わたしはそうしよう、と改めて思った。

 

だって、死ぬと、生分解性が進むんだもん笑

そういうシステムがさ、向こうにあるのさ、きっと!

 

安心して生きようっと♡

愛してたら、それだけでいいのでは?

 

今アニータ・ムアジャーニーさんの本や、YouTubeにハマっている。

 

彼女の本には、

自分を愛すればそれでよい(かなりの意訳)

とあって、そうするようにひと月弱精進してた。

 

 

そんでさ!

今の心境。

自然と、ふんわりと、

愛してさえすれば、もうそれでよくない?

となりました〜 ぱちぱちぱち

 

誰かを愛してたら、それはそれは奇跡だし、すんばらしいことで、それはそれとして、

自分に夢中で、自分をたんまり愛してることが、おもしろい今日この頃。

 

それと連動して、

あたしゃ、今どうありたいのか、

どうしたら心地よいか、

と、まず先に選べるようになったばい。

 

前はさ、

空気を読んだような感じで、

無意識に相手のご機嫌とることを試みて、

どうあるべきなんだろう?頭ぐるぐる…

だったんだよね。

 

自分を愛する、

自分の愛のタンクをたぽんたぽんにしよう、

って動くと、

あぁ、タンクの底が見え始めた、あたしやばいわ。

なにか、リラックスすること・たのしいこと・うきうきする時間を持たなきゃ…と見越せるようになってきた♡