所在確認
お友達とお喋りしていて、
最後の方、愚痴になってしまい、
ムンクの叫びよろしく、
口から、ひょろろろろろ〜〜〜〜と、ネガティブを放出してしまう。
「最後の最後で、こんな感じにしてしまってごめん(>人<;)」と謝ると、
「大丈夫よ、あやこちゃんはさ、あくまで自己表現(わたしがそう感じたという話)を繰り広げているだけでさ、
わたしに、自分が感じたのと同じような見方をしてほしい、あなたもそう思うよね??とは、言ってないやん?
同意を求めてないやん?
あくまで自分が感じた話をしてるだけだから、聞けたよ〜」
と言葉をもらった。
はぁぁぁぁ、たしかに。
たしかにです、先生!!!
ここ何週間か、
ここが瓦解したら、わたし変わるよね〜、
でもでもねぇーーーー、という要所を見つめていて、
開かずの間を開け、空気入れ替えたものの、
中身全捨てできますか、自分!!???
という日々だったので、
(要約すると自分と向き合って、立派じゃない自分をめちゃくちゃ見てた、って日々)
そこばっかり見て、にっちもさっちもいかず、冴えないわたし、だったけど、
言われるとたしかに、わたしは、昔より、人に求めなくなっていた。
自分のきもちは、自分で始末つけられるようになってきたな!
成長したぜ、わたし!と思えた。
誰かに、わたしってば正しいよね???
よね、よね?よね?(顔面圧)ってしようとも、したいとも思わなくなっている。
自分の所在確認を、自分で出来るようになっていた。やったー
あと、自分のきもちの取り扱いが、上手くなってきたな、とも思う。
とにかくどんな気持ちもあっていいし、そんな自分が、ありのままの自分で、それでよいのであーる、という心境に、最近到達できたのでありまする。
あと、ほんとに、人に求めなくなった気がする。
自分の機嫌は自分でとる、がちょっとずつ上達してきたんだな、えっへん、がんばってるぜ、あたし!
いや、と言ってもあるのよね。
人に対する欲求、そして、自分に対する人間性の至らなさの落胆と。
わたしは、人にこうあってほしい、みたいな気持ちがつよい。
(とは言え、いかにも悪人ぽい方が、ものすごく傲慢でも、なんとも感じないけど)
わたしには根本的な欲求として、人と心を開いて繋がりたい、通じ合えたらすてきよね、って想いがつよいので、それが果たされないとわかると、大変しょんぼりする。
あと、あとあとついでに書いちゃおう。
人が放つ言葉に乗っかってるエネルギーが、手に取るように見える…もとい、感じるのです。
例えばさ、
わたしのことを面白くて好き、って言ってくれる人がいて、
その『好き』という言葉が、
シンプルに好きなのか、
この人(こういう異人種、わたしのこと)と繋がりがあれば、話のネタに困らない好き、なのか、
この人と付き合うこと(わたしをキープしてること、コレクションしてること)で、自分の手持ちのカードが増えてすごいから、自分にとってメリットがあるから好きなのか、
など、
書いてて重くなっちゃったわ笑。
本人の自覚の有無は、感知しないけど、
わたしには、そういう風に聞こえる。
だから、ほんとに、そこに何も載ってない好きは、居心地がよいし、とってもとっても有り難く、神様がくれたプレゼントだなぁ♡、くらいにハートに響く。
逆に打算が混じったものは、不協和音くらいにいびつな音に、カタチに、歪んで見えるのであります。
前は、わたしが感じた不協和音を、
それが、事実かどうか、確かめもせずに、そうだと(不協和音だと)受け取ってしまってはいけない、
=自分の感覚が間違ってるかもしれないから、自分の違和感は保留して、看過した。
でも、結局最終的に、あぁ、あの時の違和感を受け取っていれば…という結果を繰り返し、
あと、子供にエネルギーを食うので、そんな所で浪費する暇がないのもあって、
相手がほんとに、そういう人なのか、確かめることよりも、
自分が今、そう感じたことが、わたしにとって重要、と、天秤の傾きを変えたのでした♡
自己紹介と愚痴でした笑
そっ、でも、自分が色眼鏡で見てるだけで、
全然相手がそんな人でもない可能性もあるし、
でも、わたしはそう感じたから、手をひこう、みたいなスタンスです。
そしてまた、わたしが変われば、人も変わるので、違う世界が繰り広げられるよね、ということも念頭に置いています。